2016年4月1日金曜日

お陰様で五周年_パート1

今年の確定申告も最後の最後までアタフタしてしまいました白石です。
初めて【福岡市】で確定申告を行いました.。人がとても多く人酔いしそうでした。。来年こそはもっと余裕をもって申告をしようと心底反省しました^_^;
自営業の方は圧倒的に青色申告をお薦めします。控除もさることながら、今は便利なクラウド会計ソフトもたくさんあるので簿記知識がない方でも楽に複式簿記を行う事ができます。
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お陰様で白屋.設立より五周年を無事に迎える事ができました。

2016年4月1日(本日)より、白屋.も六年目、人間で言うと小学1年生という大きな人生の節目にさしかかります。今までヨチヨチだった白屋,も多少右左がわかってきて、事業としては、導入期→成長期に入りました。商品の認知度・価格・販売網などが安定してきたため、更なるマーケットを獲得するような動きをとっていきたいと思います。

五周年という事で、少し私の独立する時の昔話にお付きあい頂ければ幸いでございます。

今日は、起業した時の事を色々と思い返していたので内容を3回に分けて書きます。
ⅰ・起業のきっかけ
ⅱ・とてもつらかった起業1年目
ⅲ・今と今後

ⅰ・起業のきっかけ

実は、学生時代にいずれ起業はしよう!っというざっくりとした目標はありました。そのため、就職活動の面接の時にも包み隠さず最終面接では、三年後には起業しようと思っています。と、言っていたためことごとく最終面接で不合格通知をもらっていた気がします。(笑)
就職活動の時に、面接担当の方から頂いたメールを見つけました。












面接を担当して頂いた方に直接頂いたこのメールは、不思議と10年ほど前の
事ですが、今でもずっと忘れません。(企業名・担当者の方のお名前全て覚えていました、先ほどfacebookで友達申請をだしました^_^;)
では、どうして今でも忘れないのか?誰よりも負けず嫌いの自分は悔しいという感情が一番にきているのは間違いなく、仰っている事がごもっともすぎて私も就職活動という大学生の一大イベントに浮かれている一学生でしかないんだっと痛感したからです。
内容の要点
一、起業したいならなぜ今しない?
二、論理的思考力・文章力の欠如
三、サラリーマンしてやりたい事を考えるなんて甘すぎる
私が、この担当者を仕事人として尊敬したにも関わらず【けちょんけちょん】に言われたので凹んだんでしょうねw とはいえ、この方は、私の事をとても評価してくださってました。が故に未熟学生に叱咤激励をしてくれたから、今でもはっきり覚えているのだと思います。

このようなきっかけがあり、私は真剣に就職活動に向き合います。
【三年後の起業】という明確なベクトルを定め、経営者としてのスキルを磨けるところに就職しようと。経営者として必要スキルを分析し、【人】【経営】どちらかのコンサルタントになろう。
さらに2点、業界はできる限り絞らず、社会の構図を知りたい。できれば、日本だけでなく、海外も見たい。なんて、また無茶な目標を掲げました。

そして、ヒューマンリソリアという中堅人材紹介会社に見事入社する事ができました。
もちろん、三年後に起業といえばマイナスになることはあってもプラスにはならないと判断し腹の底にしまっておきました(笑)

一年間でボチボチの営業成績が評価され、海外赴任(上海)をさせて頂く事に成功!
赤字拠点を黒字転換するというミッションを掲げいざ上海。
毎朝8時には会社へ行き、帰るのは22-24時は当たり前という生活でした。
とにかく、営業電話をしまくりました!少しづつ成約し始め気付いたら固定クライアントがいくつも増え、私の唯一の特技「キックボクシング」の指導なんかでお客さんや現地の日本人の多くの仲間ができました♪

上海での仕事も成果が出始め楽しくなってきている時に、実家より連絡が入り、祖父が倒れて米作りができなくなったから他の人に農地を貸すからっと連絡が入り・・・
「僕が、その農地でお米を作って日本や世界へと販売していくから一年後、上海支社を黒字転換させて起業するき!」っと言うも母親の猛反対。(笑)→プレゼンを重ね渋々承諾。
この時に、シグナルを感じてしょうがなかったので即断したのだと思います。あまり根拠はないのですが間違いなくこの道で起業すべきだと感じました。全く畑違いな業界でしたが・・まっ畑作業だけどな!なんて一人で呟いていましたオホホホ

その日に上司に事情を話し、一年後に帰国したい旨を伝えると、快諾。
それからというものの、上海支社の数字の見方や計画など経営に関する部分も多く指導して下さり、今でも感謝しています。そして、もちろんしっかりと黒字転換させて、無事帰国・起業したのが、
25歳、今からちょうど五年前の今日でした。

上海に行っている間の年収が約500万円ほどありました(^_^;)
住居費用なども全部会社持ちだったし、それはそれはとても金銭面では豊かな生活をさせて頂いておりました。それが・・・起業して年収0円と言わず、マイナスになってくるのですが・・・。

五周年ブログ_パート1_終


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1 件のコメント:

LLPチーム香春藩 さんのコメント...

篤司が、米ビジネスで起業すると、分かってからの私のある行動は適確だった。それは6年前の年末に新築のお祝いで、近所のお世話になった人達の前で、私がお願いしたのは次男の篤司が来年からお米の商売を始めることになりましたので、どうかみなさんの作られるお米を買わせてくださいとお願いしたことだった。側にいた妙子さんは、「まだどうなるかハッキリ分からないうちに、こんな席で言うのは時期尚早です」とのことだった。喋った私も一瞬そうかな~と少し思ったが後の祭り、そうだ、これは眼に見えないあの方に言わせられたのだと直感した。(笑い)

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