白屋のお米の原点は、5年前に祖父の作った、お米を「格米」として
販売し、一週間で600kg完売した事が全ての始まりでした。
そんな祖父が明日、老健【介護老人保健施設】に入所する事になりました。
![]() |
初年度パッケージ写真 当時86歳 |
少し、昔話になる
ため、お時間ある
際にお読み頂けれ
ば幸いです。
○白石格
(しらいしいたる)
大正11年11月5日生れ
現在91歳。
4年前に脳梗塞を患い左半身麻痺で車イス生活を余儀なくされる。
そのため、農業後継者で手を挙げたのが私だったというのが白屋のルーツです。
白屋を立ち上げ、自然と実家にいる時間も増え、祖父(以下じぃちゃん)と接する機会が増えた。
ということで・・・
少し、じぃちゃん自慢に付き合ってもらいたい(笑)
16歳で戦争に行き、戦争に負けた時20歳、じぃちゃんは捕虜(奴隷)になる。
満州(現中国)に三年と、シベリア(現ロシア)に四年捕虜として毎日肉体労働で、鉄を
運んだり、何やと命令されていたんだと。
驚く事が三つ。
①一日一食のみ、パン一個の支給。
②-30度を超えれば作業が休みになるというルール。
(当時-30度までを図る温度計があったかどうかが怪しいものだ)
③死んでいく、戦友は雪に埋葬するだけだったこと。
じぃちゃんの物を大切にする精神はこのような過酷な経験則に基づく
ものだと感じる。ちなみに日本に帰国した時は55kgあった体重が36kg
(身長165cm)だった事には、信じられない精神力あってこその命だと思った。
帰国後、白石家に婿養子として入る。
養子だったため、カカァ天下な祖母の独裁社会がそこには待ち受けていたと(笑)
とにかく、日本に帰ってもシベリア兵士の命令ではなかったものの、
人の三人前働かないとご飯を食べさせてもらえなかったというから
驚きだ(゚o゚;;
そんなこんなで、苦労人のじぃちゃんはとにかく、鉄人で、私が最もリスペクト
する人です。
88歳からリハビリを重ね、言語障害も克服し、ついには、杖をつきながら
歩く事さえできるようになりました。その歳から回復していくなんて病院の
先生も驚いてました。
しかし、二週間前から、坐骨神経痛を患い、車イスに座るだけでも痛みが
でて、寝たきりの生活になってしまい、大好きなデイケアにもいけなく
なってしまってしまい、老健に入所し、リハビリと治療に専念する事に
なりました。
頭がしっかりしている、じぃちゃんは自分に対して「哀れやなぁ」
「もう、目標の90歳を超えたからいつでもお迎えがきてもいい」
などと、弱気というより、人に迷惑をかけながら生きる今の自分に意味が
あるのかなど、アイデンティティを喪失しかけている。
とりあえず、明日、施設のお迎えが来るため、
じぃちゃんのお願いで、実家を最後に一周してお別れを言いたいと。
戦い続ける、じぃちゃんでいて欲しい。
だから、僕が実家にいるときは、鬼教官と化して、リハビリを行います。
そのあとのマッサージまで。
リハビリをすると、きつそうにするけど、目が輝きだし、言葉もポジティブに
なってきます。
だから、入所してもゆっくりするのではなく、ファイトしてもらいたい。
毎日が人生最後の日と思い、やり残す事なく、精一杯僕も毎日ファイトします。
農業の事も色々教授してくれます♪ |
白屋HP:http://shiroya.info
0 件のコメント:
コメントを投稿